先に許可を出しておきたい。エレベーターでは、会話をしなくていい。この場面の気まずさを消す方法は、うまい話題の携行ではなく、「ここは会話を完結させる場所ではない」と知ることである。
この場面の短答
乗り合わせから降りるまで、長くても数十秒。自己紹介にも近況報告にも足りない長さで、どんな話題を出しても到着のチャイムに断ち切られる。つまりこの場面で会話が続かないのは、技術不足ではなく時間の物理である。
だから型は二つだけでよい。乗るときの「何階ですか。押しますね」と、別れるときの「おつかれさまです」。前者は質問の形をしているが、実体は行為である。ボタンを押すという行いに一言が添っているだけで、話題の披露でも会話の開始でもない。行為の一言は返事が短くても失敗にならない。「5階お願いします」「どうも」で、やりとりはもう成立している。
場面の前提 — 数十秒の密室
エレベーターの気まずさには構造がある。狭い箱に他人と立ち、体の距離は近いのに、視線の置き場は階数表示しかない。距離の近さは会話の圧になり、視線の行き場のなさは沈黙を重くする。この構造は乗る人を選ばず働くので、気まずさを感じること自体は誰の欠点でもない。
もう一つの構造は、終わりが機械によって確定していることである。どちらかの階に着けば場面は必ず終わる。会話の切り上げをこちらが設計しなくてよい、めずらしい場面だともいえる。終わりが保証されているのだから、始めない自由も、始めてしまった話が途中で切れる事態も、すべて許されている。
最初の一言 — 話題ではなく行為
扉が閉まる前の「何階ですか。押しますね」に必要な準備は、パネルの前に立つ位置取りだけである。話題を探すかわりに、ボタンの近くに立つ。これがこの場面の技術のほぼ全部といっていい。
なぜ挨拶と行為で足りるのか。辞書は挨拶を、人に会ったときや別れるときに交わす、礼にかなった動作や言葉と説明する。つまり挨拶は、交わした時点で完結する形式である。会話のように「続けて発展させる」義務が組み込まれていない。エレベーターの数十秒に必要なのは、続く会話ではなく完結する挨拶のほうで、この場面と挨拶は長さの相性がいい。
沈黙のまま数十秒が過ぎても、それは失敗ではない。ナユが階数表示の明かりをキューランプに見立てたように、点いている間は待っていい。ランプとは調整室のキュー出しの明かりのことで、口を挟まない時間を目で示す装置である。エレベーターの階数表示も、同じものだと思って眺めればいい。
話が始まったときの聞き方
相手が話し始めたら、そのときだけ聞き手に回る。数十秒しかないので、深掘りはしない。短い相槌で受けて、質問はしてもひとつ、相手が話した範囲の中から選ぶ。途中で着いてしまうのが前提の聞き方である。
話の途中でチャイムが鳴ったら、「その話、降りたらまた聞かせてください」と閉じる。切れた話の続きを聞く約束は、この密室の外に会話を持ち出す出口になる。実際に続きを聞く場面は廊下や給湯室の雑談であって、エレベーターの仕事は予告までで終わってよい。
切り上げ方 — 降り際の閉じ方
降りるときは「おつかれさまです」、相手が先に降りるなら「失礼します」。扉が閉まるまで待つ必要も、会釈以上の何かを足す必要もない。
この場面の練習が他と違うのは、成功の基準が「話せたか」ではない点である。話題を探さずに乗り、挨拶で閉じて、降りたあとに息を吐かずに歩き出せたら、それで十分に合格といえる。沈黙への耐え方そのものを鍛えたければ、沈黙が気まずいを聞き方から直すが次の一本になる。エレベーターは、会話の練習場ではなく、埋めない練習の入門編である。